第3回「猪木正道記念・安全保障研究会」の報告

投稿日時: 2021/12/18 editor5

 特定非営利活動法人猪木正道基金主催

(第3回)猪木正道記念・安全保障研究会の報告

 

 特定非営利活動法人猪木正道賞基金では、コロナ感染症拡大予防のため延期していました(第3回)猪木正道記念・安全保障研究会を令和31114日(日)の午後、国際文化会館の講堂においてオンラインにより実施しました。

プログラムは、(第2回)安全保障研究会と同様、第部と第部の構成で、第部では、〔猪木正道賞受賞記念報告〕として、第5回 猪木正道賞【正賞】受賞者である小此木政夫慶應義塾大学名誉教授による「第二次世界大戦の終結と朝鮮分断」をテーマに報告がありました。

部の「安全保障研究会」では、前段は、〔現場からの報告その3〕として、元陸上自衛隊第1次イラク復興支援群長の番匠幸一郎氏から「自衛隊の国際平和協力の30年-現場で感じた任務の実態と課題」と題して報告がなされました。

後段は、〔特別企画〕として、「米国は何故アフガンから米軍を撤収させたのか」をテーマに、報告者は渡部恒雄笹川平和財団上級研究員、討論者には孫崎享元外務省国際情報局長をお招きし、司会を宮岡勲慶應義塾大学法学部教授が担当して、3者間で活発な議論が展開されました。

今回は、YouTubeによるオンライン開催でしたので、猪木正道賞基金のホームページを通じて何方でも視聴することが可能となりました。

  第3回猪木正道記念・安全保障研究会のプログラム及び大要は以下の通りです。

 

 


国際文化会館

 

部 猪木正道賞【正賞】受賞記念報告

 

テーマ:「第二次世界大戦の終結と朝鮮分断」

 『朝鮮分断の起源-独立と統一の相克』(慶應義塾大学法学研究会叢書〔89〕)で第5回猪木正道賞【正賞】を受賞された小此木政夫慶應義塾大学名誉教授は、「第二次世界大戦の終結と朝鮮分断」をテーマに大要次のような報告をされました。

冒頭、小此木氏は、「朝鮮分断というのは段階的になされた、というのが私の主張したところです。つまり、第二次世界大戦の結果として38度線が設定された。そして冷戦がはじまった結果としてそれが国際化され、国際的な米ソ対立の焦点となった。さらに朝鮮戦争によって固定化されたという意味で、三段階でこの「分断」というものが完成したわけです。この影響は今日も続いております。

今日お話しするのは、その第1段階の第二次世界大戦の終結によって、その時に引かれた38度線という舞台が設定されたそのあたりのことについてです。これまでの研究では、終戦の時期の38度線が如何に設定されたという8月の終戦の時期の決定に焦点を絞りすぎているような気がしますが、もうちょっと大きな眼で見ますと世界史的な意味合いも出てくるものと思います。」と話され本題に入りました。

1. 米国の軍事戦略

第二次大戦というものは、いろいろな形で議論がなされているわけですが、日本はどのように戦おうとしたのか、あるいは米軍は日本にどのように接近しようとしていたのかという大きな流れだけを見てみると、日本が行ったのは、今で言えばA2/AD(接近阻止/領域拒否)ですね。一方、アメリカはどのように勝とうとしていたか、どのようにして日本の絶対国防圏に分け入って日本本土に上陸するかということになるわけですが、1942年当初においては上陸など考えられておりません。そこで米軍は、日本本土への爆撃のための航空基地をどこに設定するかということについて、三つの軍事戦略が浮上していたことを、地図を示して小此木氏はそれらについて説明されています。

 また、勝敗を決したのは、米国による三つの軍事技術革命(RMA)、すなわち、エセックス級新型高速航空母艦の就航、B-29爆撃機の登場、原子爆弾の実験成功による広島、長崎への連続投下であったと、結論付けております。

2. 38度線の設定

さらに、原爆の投下のタイミングが8月であったことについて、もしそれ以前であったら、米国による朝鮮半島の単独占領が予想され、また、もしそれが数か月遅れていれば、ソ連の9月以降の攻撃作戦計画により、朝鮮半島の全てがソ連の支配下になっていたことが類推できると言及しております。

このことから、原爆の開発と投下は、広島、長崎の住民に深刻な被害をもたらすことになったが、この問題とは全く別の形において、それが朝鮮の分割占領をもたらし、冷戦開始とともに、鉄のカーテンの一部となったこと。また、原爆投下は結果として、朝鮮の人にとって、「解放の兵器」となり、「分断の兵器」となったことについて、指摘されました。


小此木政夫 氏

(本報告の詳細は、20222月末刊行の年報『平和と防衛』第8号に掲載されます。)

 

 

部 安全保障研究会

 

 (第3回)安全保障研究会では、これまでの〔現場からの報告〕を一つ、そして新たに〔特別企画〕として現在国際的な防衛・安全保障問題として強い関心がもたれている、アフガンからの米軍撤退問題ついて、それぞれ造詣の深い専門家の方をお招きして、二つの報告を実施しました

1. 【現場からの報告その3

 テーマ:「自衛隊の国際平和協力の30年-現場で感じた任務の実態と課題

 報告者の番匠幸一郎氏は、「私は防衛大学校の24期生で、猪木正道防衛大学校が防大を退任されるときの最後の学生です。また、猪木学校長が防大に創設した人文・社会科学系国際関係論専攻の3期生であり、猪木先生から直接薫陶も受けております。本日は、先生の恩に報いることを含め、〔現場からの報告〕をさせていただきます。」と前置されてから、本題に入りました。

 報告は、①国際平和協力への取組と変遷、 ②イラク派遣の現場で考えたこと、③これからの自衛隊の国際任務、の3項目に分け、PowerPointを使用して詳細に話されました。

 1)国際平和協力活動への取組と変遷 

 番匠氏は、国際平和協力活動への取組と変遷について、概略次のように述べています。

2021年というのは、国際平和協力活動の30年、20年、10年の節目になるような気がしています。1991年というのが、まさに湾岸戦争からちょうど30年になります。冷戦構造が崩壊し世界がこれからどうなっていくだろうと思っていた矢先に起こったのが、イラクによるクエェート侵攻であり、これを排除しようと始まったのが湾岸戦争です。

この30年間を大きく分けると、1990年代の第期、すなわち初めて91年海上自衛隊掃海部隊のペルシャ湾派遣、92年の「国際平和協力法の制定」と「PKO参加5原則」、92年のカンポジアPKO派遣、96年ゴランPKO等の、いわゆる揺籃期

9.11米国同時多発テロ」から20年の第期。そして、2015年「平和安全法制」の制定と我が国周辺の情勢の変化の第期とすることができるとして、その間に自衛隊が取組んできたことについて詳しく説明されました。

2)イラク派遣の現場で感じたこと

次に、メーンテーマである最初の自衛隊イラク復興支援群の指揮官として現場で感じたことについて、次のように分類し、述べています。

イラク問題の経緯と自衛隊派遣までの道のり、イラク人道復興支援任務の概要:何が求められていたのか? 「日本式」の支援活動:現地において気づいたこと、考えたこと、「ロバか、ライオンか?」:現地における部隊統率と危機管理の考え方について説明され、特にについて、「我々はライオンなのだ。牙を持って戦うのが本来の仕事なのだ。しかし、イラクにおいて我々が期待されているのはロバの仕事なのだ。汗を流して力仕事をする。ライオンはロバの仕事をすることができるが、ロバは絶対にライオンにはなれない。従って、我々はライオンの気構えでロバの仕事をしているのだ」と。だから、警備体制も他の国にわかるようにしっかりやろうと常に隊員に言っていました。

 よく自衛隊はよその国に守ってもらっているのではないかとことさらに報じられることがありますが、決してそんなことはありません。当然のことながら自己責任でやっています。そういう意味で、徹底して規律正しく強さというものを出すようにしています。

そして、サマーワで体験した事態は、最悪に備えた覚悟と不測事態への対処ということから、帰国報告の結論として、ア、派遣任務の全てが軍事作戦であったこと、イ、国防のための平素の教育訓練の重要性、ウ、今次イラク派遣を成功体験にしない、との3点を挙げ、総括しています。

 3)これからの自衛隊の国際任務を考える

 以上の経験をふまえ、これからの自衛隊の国際任務について私見として次の3つのことについて主張されています。「積極的平和主義」の意味と実行、国際任務遂行要領の工夫と一層の進化へ、日本の特性を生かした「和風」の国際任務の促進:自衛隊と各省庁・国際機関・NGO等、関係機関が一体となった、オールジャバンの体制の重要性。

 まとめとして、講師は「武士道の国の自衛隊」として防大の学生綱領の「廉恥・真勇・礼節」と重んじ、国家として尊敬による安全保障を目指してゆくべきであると発言して、報告を終わりました。


番匠幸一郎 氏

 (本報告の詳細は、20222月末刊行の年報『平和と防衛』第8号に掲載されます。)

 

2. 【特別企画】

 テーマ:「米国は何故アフガンから軍隊を撤収させたのか」

 

 〈報 告〉アフガニスタンから軍隊を撤収させたバイデン政権の想定とは

 報告者である渡部恒雄笹川平和財団上席研究員は、報告の冒頭で、「レジュメの作成の後にパワーポイントをつくりましたが、この二つの内容は殆どかぶっていません。レジュメは、現状がどうなっているかが中心です。パワーポイントの方は、実は理論的考察が重要だということが分かってきて改めて付け加えたものです。」と説明し、パワーポイン

を中心に報告を始められました。

1) 戦争終結の理論

渡部恒雄主任研究員は、まず戦争終結の理論に関係した千々和泰明、ギデオン・ローズ、フレッド・イクレという三研究者の論文や著書を紹介し、これら『戦争終結の理論』というものをここで新たに振り返る必要がある、として話を進められました。

2) 紛争原因の根本解決と妥協的平和のジレンマ

『戦争終結の理論』の著者イクレは、この書において、「「恒久平和」を確立する希望のもとに長期戦を図るか、それとも戦争の早期終結のために不満足でも解決策を受け入れるか?大体これで悩むということを示唆している。

千々和氏はこの示唆を発展させて、実際の戦争終結の形態はこの中間に位置するのではないかという仮説を、論文や著作の中で示している。つまり戦争終結というのは、将来の危機と現在の犠牲のどちらを優先するのか、というトレードオフの中に均衡点が決定されるという考え方です。

千々和理論によりバイデン政権の今回の決定を推察すると、ブッシュ(父)、オバマの時代というのは将来の米国の危機はテロであって、このテロが米国のアフガン駐留コストより危険との判断から駐留継続となった。ところがトランプ政権・バイデン政権になってから、米国の危機への認識に変化があり、「テロ」よりも大国間競争、特に中国だということに変わりつつあった。つまり均衡点が変化したことにより撤退決定になったということが言えるのではないかと述べています。

3) 国内政治の要因とバイデン大統領の撤退判断

渡部氏は、バイデンは長い政治経験からアフガン撤退という国内政治上の好機は次の理由から、長く続かないことを自覚していたのではないかと推論しています。

①アフガニスタンの政府機能構築に見切り

②撤退タイミングを遅らせれば、202211月の中間選挙により深刻な悪影響

③米国民は基本的に撤退を支持、その最大の関心は経済回復とコロナ対策

 ④次世代に重荷を残さないという歴史的役割への自覚、以上の四つです

4) 米国の対外防衛協力の潮流と日本への示唆

これまで米国は、アフガニスタン、イラクの教訓から単にパートナー国の軍事能力構築では不十分であって、国防省全体、はっきり言って国全体の能力の構築が必要だということで努力してきたが、アフガン国軍の構築失敗が、これらの試みを根本から否定することになるのか、貴重なレッスンになるのか、先行きは不透明であります。

これに関して渡部氏は、自著『防衛外交とは何か:平時における軍事力の役割』を紹介し、日本はもう少し地域のプレヤーに、しかも軍事セクター、防衛セクターに能力構築支援をしないといけないのではないか。むろんアメリカが今後これにどう向き合うのかは別として、日本が相当考える時期には来ているのではないかと思うと述べ、報告を終えました。

 

〈討論者報告〉米中対立と日本の安全保障を考える 

討論者である孫崎亨元外務省国際情報局長・駐イラン大使は、渡部氏の報告に対して私の方からコメントするようなことは全くありませんと述べられた後、本日の報告の問題提起として、渡部氏報告のレジュメ中に、「中国やロシアの大国間競争においては、近隣に脅威がない米国の地理的な優位性は、近隣にライバルを持つ中ロよりも優位である」と。これは新疆ウイグルと今度のアフガンの問題との関連というものが論点としてあること。そして同盟国と友好国が中国に対抗する状況に米国が関与するということで、アフガンの撤退という問題が米中関係の要因というものがあるというポイントと、今後それに日本がどのように関与していくか、これが提起された問題だと思うと言及しています。

 ・米中経済規模の比較と安全保障

そこで、孫崎氏は、今回のアフガニスタン撤退の問題と米中対立と日本の安全保障を考えるという補足的な論評を加えるならば、今一番重要な問題は、日本と中国、あるいはアメリカと中国の相対的な力関係がどうなっているかということの認識だろうと思っています。残念ながら日本における認識は、たぶん米中関係を見ますと、20年前の状況を今日そのまま続いているのではないかということで安全保障政策等々がつくられています。これが非常に危険なものを持っているのではないかと思うのです。例えば米中の経済力がどうなっているかということを考えると、ほとんどの人が、当然のことながら、アメリカは中国よりも少なくとも50%以上ぐらいの力を持っている、2倍、3倍みたいな感じを言う人が多いのですけれども、CIAが行っている『WORLD FACTBOOK』に、リアルGDPという形で、中国は23.0兆ドル、米国は19.8兆ドルということで、実体的経済力はもはや中国のほうが上だという認識をしなければいけないという問題提起をされています。

 当然、この比較は安全保障の面でも表れており、ランド研究所が2015年に発表した「アジアにおける米軍基地に対する中国の攻撃」という論文を紹介し、台湾周辺で米中が戦ったときにどうなるかということで、「中国は自国本土周辺で効果的な軍事行動を行う際には、全面的に米国に追いつく必要はない。特に着目すべきは、米空軍基地を攻撃することによって米国の空軍作戦を阻止、低下させ得る」ということを挙げ、もう台湾正面で米軍が戦闘するということは、小競り合いは別にして、あり得ない状況になってきているのではないかという見解を述べています。このような中で、例えば尖閣問題などをどのように解決すべきかを考えていくべきだと思うと発言されています。

・米軍の撤退がどのような影響を与えるか

次にアフガニスタン問題に戻り、米軍撤退の影響について次のように言及されました。「アフガンからの撤退ということによって起こり得るのは、アフガニスタンには外国の関与がない。そこにはテロリストたちのある意味の安全地域みたいなものができる。誰がここで得をするのかということを考えてみると、確実に新疆ウイグルのテロリストたちがこの場所から利益を得るのだろうということになる。米国は危ないところは持っていないが、中国は周辺地域不安定なので、ここをうまく攻めていけば、場合によったら、中国が厳しい状況になるかもしれいということを考えたことであると思っています。」と発言され、論評を終えています。

 

〈質疑応答〉

 報告と討論者報告後の質疑応答では、司会者の宮岡勲慶應義塾大学法学部教授は、報告者並びに討論者の発言についてコメントを加え、報告者の渡部氏には、「いわゆるバイデン大統領のリーダーとしての信条、これが今回の決断にどれくらい重要性を持っていたか」について質問し、また討論者の孫崎氏には、「ある意味、中国を二正面といいますか、単にアメリカだけ、太平洋だけを向かせるのではなくて、アジア中央にも中国の目を移すためにも、アメリカはアフガンから撤退したのではないかという指摘があったが、この観点はどれぐらいアメリカの決断において重要だったのか」との質問がなされました。

その他、米国と同盟国間の絆の問題、経済安全保障、日本への期待などについての質疑もおこなわれ、渡部、孫崎両氏からの応答と及びフロアとの質疑応答も加わり、活発な議論の後、本セッションは終了しました。


司会 宮岡勲 氏
 
渡部恒雄・孫崎享 両氏

 (本セッションの詳細は、HP上のライブビデオ、及び20222月末刊行の年報『平和と防衛』第8号に掲載されます。)