猪木正道先生略年譜
1914年(大正3年) | 11月5日 | 京都市京都帝国大学付属病院にて、父・正雄(京都帝国大学医学部副手)、母・田鶴の長男として生まれる(三重県上野市出身) |
1927年(昭和2年) | 3月 | 三重県上野町立男子小学校を卒業 |
1931年(〃6年) | 3月 | 三重県立上野中学校を4年修了 |
1934年 (〃9年) | 3月 | 第三高等学校文化乙類を卒業 |
4月 | 東京帝国大学経済学部経済学科に入学 | |
1935年 (〃10年) | 4月 | 河合栄治郎教授の演習に参加 |
1937年 (〃12年) | 3月 | 東京帝国大学経済学部経済学科を卒業 |
3月16日 | 藤井倉子と結婚、目黒区に新居を構える | |
4月 | 三菱信託株式会社に就職 | |
1938年(〃13年) | 5月11日 | 長女真理子誕生 |
1940年 (〃15年) | 1月3日 | 次女真知子誕生 |
1941年 (〃16年) | 7月 | 福岡支店に転勤 |
1942年 (〃17年) | 5月22日 | 三女真美子誕生 |
7月 | 全国金融統制会に出向、世田谷区に住む | |
1943年 (〃18年) | 5月 | 三菱信託株式会社に復職、財団法人三菱経済研究所に出向 |
9月 | 成蹊高等学校講師(非常勤) | |
10月 | 三菱経済研究所より参謀本部第5課(ソ連担当)に嘱託として派遣され、「ドイツの継戦能力」について調査・研究(1945年ドイツ軍降伏まで) | |
1945年 (〃20年) | 3月 | 家族を滋賀県蒲生郡鏡山村へ疎開させる |
1945年(〃20年) | 9月22日 | 長男武徳誕生 |
1946年(〃21年) | 1月 | 財団法人三菱経済研究所を退職 |
2月 | 成蹊高等学校教授、吉祥寺の校宅に住む | |
1949年 (〃24年) | 4月 | 成蹊大学政治経済学部教授 |
8月 | 成蹊大学を退職、京都大学法学部助教授となり京都市山科に住む | |
10月 | 京都大学法学部教授、政治学、政治史を担当 | |
1953年 (〃28年) | 5月 | 京都大学大学院法学研究科を担当 |
11月 | 文部省在外研究員として、ドイツ連邦共和国及びイギリスへ出張(1954年10月帰国) | |
1954年 (〃29年) | 5月 | 日本政治学会理事(以後1966年10月まで) |
1957年 (〃32年) | 6月 | オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで開催のソ連問題ジンポジウムに出席のため、イギリスへ出張、帰途フィンランド、スウェーデン、ノールウェー及びデンマークを視察(同年7月帰国) |
8月 | アメリカ国務省の招待により、ハーバード、コロンビアなど各大学を歴訪、ソ連問題及びヒトラー研究専門家と意見交換(同年11月帰国) | |
1960年 (〃35年) | 9月 | 京都市左京区田中樋ノ口町に転居 |
12月 | 民主教育協会の依頼とアジア財団の講演により、沖縄へ出張、講演(同月帰国) | |
1961年 (〃36年) | 1月 | シンガポール大学で開催の東南アジア史学会に出席するためシンガポールへ出張、併せて京都大学東南アジア研究センター設立準備のためビルマ及びタイを視察(同月帰国) |
3月 | 京都大学より法学博士号を受く(学位論文は「独裁の政治思想」) | |
4月 | アメリカ合衆国へ出張(同月5月帰国) | |
6月 | 1961国家公務員採用上級試験専門委員「行政」となる(以後1962年、64年、65年、66年、67年、70年度併任) | |
1962年 (〃37年) | 1月14日 | 長女真理子、医学士桜井雅温と結婚 |
7月 | ドイツ連邦共和国へ出張(同年8月帰国) | |
9月 | アメリカ合衆国及びギリシャへ出張(同月帰国) | |
10月14日 | 次女真知子、医学士田中裕と結婚 | |
1963年 (〃38年) | 1月 | ロックフェラー研究員として、アメリカ合衆国、イギリス及びドイツ連邦共和国へ出張(同月8月帰国) |
1964年 (〃39年) | 8月 | 選挙制度審議会委員に任命される(以後1965年9月まで) |
12月 | タイ王国及びマレイシア連邦へ出張(同月帰国) | |
1965年 (〃40年) | 8月 | カンボディア、ラオス、南ヴェトナム及びタイ王国へ出張(同年9月帰国) |
1966年 (〃41年) | 2月28日 | 三女真美子、法学士内田勝久と結婚 |
4月 | アメリカ合衆国及びイタリアへ出張(同月帰国) | |
11月 | 学術奨励審議会委員に任命される(以後1967年6月まで) | |
12月 | 南西諸島へ出張(同月帰国) | |
1967年 (〃42年) | 4月 | アメリカ合衆国へ出張(同年5月帰国) |
5月 | スイス、オランダ及びカナダへ出張(同年6月帰国) | |
9月 | ドイツ連邦共和国、チェッコスロヴァキア、ポーラン ド及びソ連邦へ出張(同月帰国) | |
9月 | 学術審議会委員に任命される(以後1971年11月まで) | |
1968年 (〃43年) | 4月 | 教育課程審議官に任命される(以後1970年3月まで) |
6月 | アメリカ合衆国及びカナダへ出張(同年7月帰国) | |
1969年 (〃44年) | 1月 | 米国・コロンビア大学共産主義研究所研究員として、アメリカ合衆国、ドイツ連邦共和国及びインドへ出張(同年10月帰国) |
1970年 (〃45年) | 7月 | 京都大学教授を辞職 |
防衛大学校長に任命される | ||
横須賀市池上の学校長官舎に住む | ||
1971年 (〃46年) | 4月 | 京都大学名誉教授の称号を与えられる |
5月 | 欧米諸国における軍学校及び研究所等視察のため、アメリカ合衆国、スウェーデン、フランス共和国、ドイツ連邦共和国及びイギリスへ出張(同年6月帰国) | |
1973年 (〃48年) | 9月 | トラヴェミュンデにおいて行なわれる国際戦略研究所第15回年次会議に参加し、併せてハンブルク連邦軍大学設立準備本部及びハンブルク大学視察のため、ドイツ連邦共和国へ出張(同月帰国) |
1976年 (〃51年) | 1月 | 長男武徳、土居吉子と結婚 |
3月 | 欧州各国における講演会等に出席するため、イギリス、フランス、ドイツ連邦共和国及びベルギーへ出長(同年4月帰国) | |
9月 | 横浜市保土ヶ谷区藤塚町へ転居 | |
1977年 (〃52年) | 9月 | アジアの平和・日ソ専門家会議に出席するため、ソ連へ出張(同月帰国) |
1978年 (〃53年) | 7月 | 防衛大学校長を退職 |
9月 | オックスフォード大学で開催の国際戦略研究所年次総会に出席 | |
10月 | 平和・安全保障研究所理事長に就任 | |
10月 | 防衛大学校名誉教授の称号をあたえられる | |
1979年 (〃54年) | 4月 | 政策研究会・総合安全保障グループ(大平首相の私的研究グループ)の座長となる |
5月 | 外務省の依頼により韓国の公共政策研究所で開催のシンポジウムに出席 | |
1980年 (〃55年) | 9月 | 東ベルリンの政治経済研究所を訪問後、イタリアのストレーサで開催の国際戦略研究所年次総会に出席 |
11月 | モスクワで開催のアジアの平和・日ソ専門家会議 | |
1981年 (〃56年) | 4月 | 外務省の依頼により中国を訪問、社会科学アカデミーの首脳と意見交換 |
4月 | 紫綬褒章を授与さる | |
1982年 (〃57年) | 4月 | 青山学院大学国際政治経済学部教授となる |
11月 | ハワイで開催のアジア・太平洋安全保障会議に出席 | |
1983年 (〃58年) | 6月 | ハワイで開催のアジア・太平洋安全保障会議に出席 |
1984年 (〃59年) | 4月 | 中国国際問題研究所の招待により、北京で公演ならびに意見交換 |
6月 | モスクワで開催のアジアの平和・日ソ専門家会議に出席のためソ連に出張 | |
11月 | 西ベルリンで開催のアスペン研究所の国際会議に出席 | |
1985年 (〃60年) | 3月 | 『猪木正道著作集』全五巻を力冨書房より刊行、七月完結 |
8月 | 東京で開かれたアジア・太平洋安全保障会議に出席 | |
9月 | 山梨県河口湖畔において開催のアジアの平和・日ソ専門家会議に出席 | |
1986年 (〃61年) | 3月 | 平和・安全保障研究所理事長辞任、会長就任 |
9月 | 京都で開催の国際戦略研究所年次総会に出席 | |
9月 | 中国国際問題研究所の招待で中国を訪問 | |
11月 | 勲一等瑞宝章に叙せられ、宮中において親授される | |
1990年 (平成2年) | 3月 | 青山学院大学国際政治経済学部を退職 |
1992年 (〃4年) | 1月 | 「読売憲法問題調査会〔委員12名〕」に会長として参加、憲法改正問題について論議(同12月に「第1次提言」発表) |
1996年 (〃8年) | 4月 | 平和・安全保障研究所会長辞任、顧問就任 |
1997年 (〃9年) | 4月 | 京都市伏見区深草大亀谷内膳町へ転居 |
4月26日 | 倉子夫人ご逝去 | |
2001年 (〃13年) | 10月 | 文化功労賞に選ばれる |
2012年(〃24年) | 11月5日 | 京都市左京区病院にてご逝去(享年98歳) |
2013年(〃25年) | 2月19日 | 「猪木正道先生を偲ぶ会」を国際文化会館岩崎小弥太記念ホールにおいて挙行 |