第5回「猪木正道記念・安全保障研究会」の報告(1/2)

投稿日時: 2023/06/07 editor5

 

NPO法人日本防衛学会猪木正道賞基金・東洋大学現代社会総合研究所 共催

(第5回)「猪木正道記念・安全保障研究会」の報告〔その1

 特定非営利活動法人日本防衛学会猪木正道賞基金では、東洋大学現代社会総合研究所との共催で令和5(2023)218()、東洋大学・白山キャンパスにおいて現今の喫緊課題である核問題に焦点を当て、(第5回)猪木正道記念・安全保障研究会を対面形式で実施しました。

(東洋大学・白山ャンパス 8号館入り口)    (研究会場:2号館16階スカイホー中央)  

          

 プムグラムは、前回と同様に(第5回)安全保障研究会も第Ⅰ部と第Ⅱ部の構成からなり、五百旗頭眞理事長の開会挨拶の後、第Ⅰ部〔猪木正道賞受賞記念報告〕では、第8 猪木正道賞【正賞】受賞者であります岩間陽子政策研究大学院大学教授による「受賞図書『核の一九六八年体制と西ドツ』について」、本書の持つ意義と今後の課題について報告がありました。

 第Ⅱ部の「安全保障研究会」では、前段1.〔現場からの報告〕として、20029月に平壌での日朝首脳会談から20年が経過したのを契機に、当時、外務省アジア大洋州局長として史上初めて日朝首脳会談・日朝平壌宣言を導いたとして知られている田中均元外務審議官をお迎えして、「日朝首脳会談20年-今にして想う事」と題し、これまであまり知られていない “拉致問題”や“核問題”について貴重なお話をしていただきました。

 後段2.〔特別企画:シンポジウム〕では、東アジア安全保障における喫緊の課題である「北朝鮮の核をめぐる米・韓・日の対応」をテーマに、パネリストには倉田秀也防衛大学校教授、宮本悟聖学院大学教授、石川卓防衛大学校教授、小此木政夫慶應義塾大学名誉教授、高見澤將林東京大学公共政策大学院客員教授の4名をお迎えし、またコメンテーターとして牧野愛博朝日新聞記者・広島大学客員教授が参加し、それぞれ専門的視点からの報告とそれに対するコメントがありました。続いてコーディネーターの五百旗頭眞兵庫県立大学理事長を中心に、参加者相互の間で活発かつ有意なパネルディスカッションが行われました。

(第5回)猪木正道記念・安全保障研究会のプログラム及び大要は以下の通りです。

    

                   〈プログラム〉

開 会   理事長挨拶    NPO法人JSDS猪木正道賞基金理事長 五百旗頭眞      

 

第Ⅰ部           猪木正道賞受賞 記念報告      

受賞図書『核の一九六八年体制と西ドイツ』について       

              第8回【正賞】受賞者 政策研究大学院大学教授 岩間 陽子

 

第Ⅱ部             安全保障研究会

   1.〔現場からの報告〕                     

        テーマ「日朝首脳会談20年― 今にして想う事」

報 告 日本総研国際戦略研究所特別顧問・元外務審議官 田中   

               

    2. 〔特別企画:シンポジウム〕                

         テーマ「北朝鮮の核をめぐる米・韓・日の対応」

 

パネリスト①北朝鮮の核開発と核ドクトリン」 防衛大学校教授 倉田 秀也

         ― 二つの核使用原則 ―

パネリスト北朝鮮のミサイル開発」      聖学院大学教授 宮本    

パネリスト③米国の対北朝鮮核戦略」     防衛大学校教授 石川    

パネリスト④韓国の対北核対応戦略」   慶應義塾大学名誉教授 小此木政夫  

パネリスト⑤朝鮮半島をめぐる情勢の変化と日本の対応」   

東京大学公共政策大学院客員教授 髙見澤將林

コメンテーター       朝日新聞外交専門記者・広島大学客員教授 牧野 愛博

コーディネーター             兵庫県立大学理事長 五百旗頭眞

   

閉  会                          総合司会 JSDS猪木正道賞基金理事 永澤 勲雄

  

〈研究会の大要〉

第Ⅰ部 猪木正道賞受賞記念報告

(開会挨拶:五百旗頭眞理事長)        (受賞記念報告:岩間陽子氏)

          

 

 テーマ:受賞図書『核の一九六八年体制と西ドイツ』について

 8回猪木正道賞【正賞】受賞者の岩間陽子政策研究大学院大学教授は報告にあたり、

1968年のNPT(核不拡散条約)の締結から55 ―この条約は何を象徴していたのか、

核抑止+核軍縮・軍備管理+原子力の平和利用を一体として理解する必要性、

日本における政治的要請からのコミュニティの分離と一体性理解の回復の必要性、

3点について問題を提起され、本題に入りました。

. 冷戦期ヨーロッパの特殊な状況の歴史的産物としての核抑止

まず、岩間教授は、冷戦期ヨーロッパの特殊な状況の歴史的産物としての核抑止について、当初はソ連地上軍の優越という認識が事実の面とイメージの面の双方から揺るがなかったため、朝鮮戦争停戦後の米アイゼンハワー政権の国内的要請により、核兵器による抑止への依存、そしてNATOでの「大量報復戦略」という考えが生じたということ。

なお、アイゼンハワーの核兵器に関する考え方は、核兵器への抵抗感をなくしたいという動機から、「平和のための原子力」とのカプリングにより普通に使う兵器として同盟国にも供与するというものであったこと。

しかし、通常戦力を補うものと位置づけていた核兵器(戦術核)が、ミサイルによる核運搬手段開発の技術的進展を迎えたことから、核保有への敷居が上がると同時に、その使用への反対論も高まってきたことの経緯について、説明されました。

. 核軍拡競争から抑止の安定管理へ:階層的秩序の定着(1957年~1968年)

次に、核軍拡競争から抑止の安定管理へ:階層的秩序の定着について、1957年のソ連による人工衛星打ち上げ成功というスプートニク・ショックにより、西側による「核共有」の検討が開始されたこと。しかし、「米英核同盟」が完成したものの、1954年~1957年米ソ英が水爆を開発により世界的な反核運動により、英国は軍備管理・軍縮派へと移行し、核共有の方式は「ハードウェア」から「ソフトウェア」に移ったこと。また、潜在的核保有国であり米国の同盟国である西ドイツや日本では、核の拡大抑止へと安全保障観に変化をもたらしたこと。スウェーデン等の中立・非同盟諸国の間では、ジュネーブ軍縮交渉やCSCE(欧州安全保障協力会議)プロセスを活性化させていったことについて、言及されました。

3. 核の一九六八年体制と西ドイツ

以上のような動きの一方で、西ドイツ内においては柔軟反応戦略の採用やゴーリズム(ド・ゴール主義)によって70年代まで戦術核使用の可能性も高まっていたこと。そして、これらのせめぎ合いからブラント政権は、NPO参加を決め、1968年体制が定着したと報告しています。

. NATOの核共有について

・これに関連し、岩間教授はNATOの核共有について、1957年にNATO核備蓄(Nuclear Stockpile)として始まった制度は1968年のNPTでも認められており、すべての戦術核兵器の弾頭は、米国が管理し、運搬手段を同盟国が保有し、戦時には核弾頭を供与それる予定になっていると説明されまし。

. その後の「核の一九六八年体制」について

まとめとして岩間教授は、その後の「核の一九六八年体制」について核兵器がある世界で、大規模核戦争を避け、安定を維持するための国際制度として現在に至っている。1968年以降も、“global nuclear order”議論の活発化により、軍備管理レジーム、輸出管理レジーム、国際規範により強化されている。NPTは冷戦終了後に大幅に加盟国を増やし、1995年には無期限延長し、強化されている。(189か国中53か国が1989年以降に加盟)。ただし、現在の中国、北朝鮮によるチャレンジ+ロシアによる破壊の試み?等による創設以来の秩序変動について大きな懸念を示され、報告を終えました。

報告後、フロアとの間に質疑応答が行われました。

〔本セッションの内容は、年報『平和と安全保障』第10号(20242月刊行)に掲載します。〕

 

第Ⅱ部 安全保障研究会

◆1.〔現場からの報告〕

           

(報告者:田中 均氏)

                

 テーマ:「日朝首脳会談20年―今にして想う事」

 田中均元外務審議官は、報告の冒頭、「今から20年遡ってあの“日朝首脳会談”はどういう思いで取り組んだのか、プラスマイナスもあったわけだが、シナリオを描いた者は往々にしてプラスの面だけ考えがちです。しかし客観的にみるといろんなループホール(抜け穴)もあったと思うので、本日は率直にお話ししたいと思います」と前置されてから、当時を振り返りつつ報告を始められました。

1小泉(総理)訪朝の基本的コンセプト

まず、20029月の小泉訪朝のコンセプトとはどのようなものであったか、田中均氏の報告はこの問題の述懐からスタートしました。

「私は、2002年9月17日の総理訪朝というのは、何のためにやったのですか、ということを聞かれる。また、一種のプロパガンダの世界になると、田中というのは、北朝鮮との国交正常化を先行し、「拉致問題」というのはよりプライオリティーが低い問題だったのではないか、というような批判はあります。ただ、その批判は必ずしも正しいものではありません。最初に小泉さんと官邸で向き合って、“何をどうしていこうか”という話をしたときのコンセプトは大きな絵だった。それは何かというと、日本の安全保障の最大のプライオリティーというのは朝鮮半島を取って、大陸に出て行く。それによって日本の安全が担保されるということで、日本はそれをずっとやってきたのです。この間、朝鮮半島に大きな被害を生じさせたことは間違いない。

私は小泉総理とそういう話をして、自分たち日本の責任というのは、日本がイニシアチブをとって朝鮮半島に平和を作るということだと。一つには国交正常化がある。国交が正常化しないと、もろもろの外交的活動に大きな支障となる。次に「拉致問題」は、日本の主権が明々白々迫害されたケースで、それを放置するなんていうことは国家の在り方としてあり得ない。それから、当時あった「核問題」や「ミサイル問題」。こういう問題というのは日本だけで解決することはできないので、当然「国際的な枠組」でやっていかざるを得ない。まさにそういういくつかの主要な課題をつくって、真正面から向き合って一つの枠組「包括的アプローチ」―「朝鮮半島に平和をつくるパッケージの包括性」をつくっていくことが、我々のコンセプトだった。

少なくとも核やミサイルについて一定の解決の目途を立て、そして正常化交渉をやり、その結果として、協定が結ばれ、北朝鮮に多額の経済協力が行くという図式なのです。北朝鮮はそこまで行かないと、我々が約束した利益を取れない。しかし、日本としては、そういうプロセスを進めるにあたって、「拉致問題」について解決しないで進むわけにいかない。したがって、小泉訪朝は917日ですが、10月に北朝鮮が生きていると言っていた人5名が日本に帰ってきたのです。」

2紆余曲折はあったが20059(六者協議共同声明)までは道を外れなかった

次に、田中均氏は、拉致被害者の一時帰国と永住帰国及び六者協議について、次のように述べています。

「拉致被害者について、もともとは、一時帰国という前提で帰ってきた拉致被害者を、その後永住帰国としたのは、役人ではなく政治家・政府の判断であった。北朝鮮は約束が違うと激高していたが、「日本人の運命については、あなた方に左右されるいわれはない」と主張し、押し通した。このことは一つの大きなシナリオ(絵)の中では“後退”であることは間違いないが、それ以外の方策はなかったと思う。

なお、日朝首脳会談の1か月後には、北朝鮮が密かに高濃度ウランによる核開発をしているとの疑惑から、ジェームス・ケリー米国務次官補がミッションを率いて訪朝し、核疑惑の事実関係を突き付けた。このとき以降米国と北朝鮮の朝間は、険悪になって行く。

 しかしながら、我々がつくったシナリオはそれで消えたわけではなかった。北朝鮮を説得したから、北朝鮮の核問題を解決するための六者協議の発足を先導してくれと依頼し、結果的に、日、米、中、露、韓、朝からなる六者協議ができた」と。

さらに、田中氏自身は、「20058月に外務省を退官したが、同年9月には六者協議の共同宣言ができている。そこには、経済協力、正常化問題、信頼関係醸成等、それぞれの国が役割を分担する。日本は「日朝ピョンヤン宣言」(2002917日)に基づいて北朝鮮と正常化交渉をやる。アメリカもそうするというようなことが包括的に書かれているわけです。だから、私は核問題の解決があり得るとすれば、それしかない。要するに、相手の身になって行動をするということです」と、言及しています。

3)シナリオがとん挫した要因

そこで、2005年9月の六者協議の合意がうまくいかなかった原因は何なのか、報告者は以下のような原因があったことを指摘されました。

「近代民主主義国家が外交を進めていくにあたって最も難しい点の一つは、国家安全保障に関わるような問題、明確な敵がいるような問題について、相手に妥協したというような形をとることは政治が絶対に許さないということです。どんどんポピュリズムが強くなり、目先のことが政治的には最も重要なイシューになってしまう。

私は、拉致問題を解決するには包括的な枠組みでしか解決できない。だからそれをやりましょうと提言したが、小泉という人はそれを理解した。だけど、日本の野心を持った政治家は、“そういう中長期的なシナリオを書いても、おれはそのときに首相でないかもしれん。だから自分の首相でいる間に一定の結果が出るような見かけをつくろう”といって、とにかく見かけをつくる。その結果、国民が拍手喝采をする。日本の政治の悲劇は全てそうで、最大の課題というのは、政治家の皆さんが目先のことにしかケアしない。

もう一つは、米国という国が極めて一貫性に欠けるということなのです。というのは、

2005年の9月に六者協議の合意ができたとき、二つの問題があった。核を検証できる形で放棄しようというその検証方法について十分詰めが行われず、まさにそれが交渉されていた。それと同時にアメリカがやったことは金融制裁です。バンコ・デルタ・アジア(BDA)をマネーロンダリングの疑いでリストに載せた。結果的には金正日(キム・ジョンイル)の口座が凍結された。当時、北朝鮮との取引はみんなキャッシュでしたので、銀行の取引ができなくなった。このことに北朝鮮は激高した。結果的にはアメリカが信頼できないのだという一つのエクスキューズを北朝鮮に与えてしまった。

あのときにまず検証できる形の核廃棄という検証の方法を詰めるべきだった。過走に金融制裁を打つなんていうことをやるべきではなかったと思う。だけど、結果的にそういうことで、あの六者協議もつぶれ、それで北朝鮮は核実験をしていく。昨今のミサイルの度重なる実験もそうです。」

4)将来に向けて

 北朝鮮との関係改善について、報告者はこれまでの経験を踏まえ、長期的シナリオのもとに取り組むべき問題あると主張しています

将来に向けて何らかの感想はありますかと聞かれます。皆さんご承知のとおり、北朝鮮の核問題を解決するのはめちゃくちゃ難しいことだと思います。彼らの核を持ちたいという欲求が、米国に対する一つの安全が核を持つことによって得るということであれば、難しいですよね。

米中が対立をしているときというのは、中国は朝鮮をアメリカとの対立のコンテキストで使う可能性はあります。それで再び中国は北朝鮮を支援するという流れは出てくると思う。私は中国にも言っているし、本気で彼らもそう思っているのだと思うのですが、北朝鮮の核兵器は彼らの安全にとって極めてゆゆしき問題なのです。

一つは北朝鮮の基本的な発想というのは誰かに依存することではない。「チュチェ(主体)」という思想もそうですが、自ら立つということなので、中国ですら、まさに核を持つことによって、北朝鮮はそれで中国を脅しにかかるということだと思います。

もう一つ、中国が本当に嫌がるのは核の「ドミノ」という議論が近隣諸国で起こっている。韓国で起こる。それが台湾に行く、日本に行くということで、まさに中国が核を独占しているという実態が変わっていくということに対する非常に強い懸念というのはある。

三つ目の懸念は核の管理が十分ではない。要するに核をめぐる汚染とか、そういうものが出てくる可能性。ある意味、中国にとってみれば、北朝鮮の核を廃棄させるというのはそこで利益があるはずなのです。ですから一定の米中の対立の枠組みの中で、北朝鮮の核については協力するというアコモデーションができれば、ロシアの問題がありますけれども、物事は一定の方向に動く可能性がないわけではないと思います。

当面いちばん必要なのは、拉致で首脳会談をやる、無条件に首脳会談をやるという、ああいう実現性がないことを叫ぶことではなくて、私は核の問題について、現実的でサステナブルなコンセプトを日本はきちんと作り、米国や中国と相談することだと思うのです。しかし、そんな相談をしても、どれだけ政治のプラスになるかと聞かれると、将来長いシナリオの話ですから、それはちょっとわからないです。だけど、日本はそれをやるべきです。そこの原点に思いを致さなければいけないと私は思うのです。」

 

報告の締めくくりとして田中均氏は、「朝鮮半島というのは日本にどういう意味をもってきたのか。単に戦後の歴史ではなくて戦前の歴史ですよ。ですから日本は責任がある。だから責任を果たすためには、日本は積極的に核の問題やミサイルの問題、拉致を解決して正常化に至るということを真剣にやらなければいけない。政治の見かけの問題ではなくて、本気になって解決をするということをやらなければいけないのではないかと私は思っています」と発言され、報告を終えました。

報告の後、多くのフロアとの間で活発な質疑応答がなされました。

〔本セッションの内容は、年報『平和と安全保障』第10号(20242月刊行)に掲載します。〕

 

※なお、(第5回)「猪木正道記念・安全保障研究会」の報告〔その2

〔特別企画:シンポジウム〕「北朝鮮の核をめぐる米・韓・日の対応」については、追って掲載します。