第4回「猪木正道記念・安全保障研究会」の報告(1/2)

投稿日時: 2023/01/18 editor5

 

NPO法人日本防衛学会猪木正道賞基金主催

(第4回)猪木正道記念・安全保障研究会の報告

 NPO法人日本防衛学会猪木正道賞基金では、(第4回)猪木正道記念・安全保障研究会を令和4年(2022年)710日(日)13301735の間、慶應義塾大学・三田キャンパス西校舎524教室において対面形式により実施しました。7月初旬は、幸いコロナ禍の第6波が収束の時期でもあったため、久しぶりに会場には多くの聴講者が参加し、活気にあふれた研究会となりました。

慶応大学 三田キャンパス西校舎

 

プログラムは、前回と同様に(第4回)研究会も第Ⅰ部と第Ⅱ部の構成で、五百旗頭眞理事長の開会挨拶の後、第Ⅰ部では、第7回猪木正道賞の受賞者である千々和泰明防衛研究所主任研究官が受賞図書『安全保障と防衛力の戦後史19712010―「基盤的防衛力構想」の時代―』の概要と本書の持つ意義について講演がありました。

 第Ⅱ部の「安全保障研究会」では、前段1.〔現場からの報告・その4〕として、令和4年が沖縄(施政権)返還50周年に当たることから、「沖縄返還交渉のうらおもて」をテーマに、当時、外務省条約局条約課員として本交渉に直接に関わられた柳井俊二元駐米大使から報告がなされました。次いで、渡邉昭夫東大名誉教授から、学者の立場から本問題についてコメントが加えられました。

 後段2.〔特別企画:シンポジウム〕では、現在進行中である「ウクライナ戦争―現状と行方」をテーマに、パネリストに兵頭慎治防衛研究所政策研究部長、東野篤子筑波大学人文社会系教授、中林美恵子早稲田大学教授、番匠幸一郎元陸上自衛隊西部方面総監をお迎えし、それぞれの専門的視点からの報告があり、続いてコーディネーターの秋山昌廣元防衛事務次官を中心にした活発なバネルディスカッションが行われました。

本シンポジウムが企画された段階では、ウクライナ「紛争」との認識でしたが、令和4224日のロシアによるウクライナ軍事進攻後の状況は、まさにロシアとウクライナ間の戦争状態であることから、タイトルを「紛争」から「戦争」に改めました。)

 

(第4回)猪木正道記念・安全保障研究会のプログラム及び大要は以下の通りです。

 

〈プログラム〉

 

開会の挨拶                NPO法人猪木正道賞基金理事長 五百旗頭

     

第Ⅰ部              猪木正道賞受賞 記念報告        

テーマ:受賞図書『安全保障と防衛力の戦後史19712010』について    

                   第7回(正賞)受賞者 防衛研究所主任研究官 千々和 泰明

第Ⅱ部              安全保障研究会         

    1.〔現場からの報告・その4〕                             

      テーマ:「沖縄返還交渉のうらおもて」

                    報告 国際海洋法裁判所判事、元駐米大使  柳井  俊二

討論 東京大学名誉教授  渡邉  昭夫

    2.〔特別企画:シンポジウム〕                    

           テーマ:「ウクライナ戦争-現状と行方

パネリスト① 「ロシアの視点から」 防衛研究所政策研究部部長 兵頭  慎治

パネリスト② 「ヨーロッパの視点から」    

筑波大学人文社会ビジネス科学学術院教授  東野 篤子

          パネリスト③ 「米国の視点から」            

早稲田大学教授、元米国上院予算委員会補佐官  中林 美恵子

パネリスト④ 「軍事的視点から」  元陸上自衛隊西部方面総監  番匠 幸一郎

コーディネーター                    元防衛事務次官  秋山 昌廣

 

閉会の挨拶                  慶應義塾大学法学部教授  宮岡  勲

(総合司会                 NPO法人猪木正道賞基金理事  永澤 勲雄)

 

第Ⅰ部 猪木正道賞【正賞】受賞記念報告

 テーマ:『安全保障と防衛力の戦後史 19712010―「基盤的防衛力構想」の時代―』について

7回猪木正道賞【正賞】を受賞された千々和泰明防衛研究所主任研究官は、冒頭、本研究は、1976年に導入された基盤的防衛力構想が、80年代の米ソ「新冷戦」、冷戦の終結、911同時多発テロを経て2010年まで維持されたのはなぜかという疑問から出発し、戦後日本の防衛政策を読み解こうとしたものですと話され、本題に入りました。

本題においては、千々和氏は、「史料・インタビュー調査などを通じて分かりましたことは、そもそも1976年に基盤的防衛力構想が導入された際、この構想が本当に脱脅威論なのか、それとも従来の目標を下方修正したとはいえ、依然として脅威対抗論なのかということについて、防衛庁中枢においてさえコンセンサスがなかったという事実です。したがって、デタント終焉後も、同構想の脅威対抗論的解釈をとることで、防衛力増強が可能になりました。そして冷戦が終わると、今度は軍縮ムードのなかで、防衛力の下限という意味の使われ方がなされます。

 つまり本書は、基盤的防衛力構想が、時代によって、人によって、集団によって、多義的に解釈され、防衛力の在り方についての「意図せざる合意」となったからこそ続いてきたという、防衛政策史の新たな一側面に光を当ててみたものです。」と研究の意義について話されました。

 

五百旗頭眞 理事長             千々和泰明 氏

 

部 安全保障研究会

 

1. 【現場からの報告・その4

 テーマ:「沖縄返還交渉のうらおもて」

 報告者の柳井俊二大使は、報告される前に、準備され参加者に配布された《資料綴り》の中味について若干説明された後、〈報告骨子〉に沿って、当時、外務省条約課員として沖縄返還協定を作成するにあたっての交渉上のもめごとや、国会での承認を得るときに紛糾した問題等で苦労した話や沖縄返還協定等の具体的な内容について話をされました。そして、終わりに沖縄返還交渉を振り返って感想を述べています。〈報告骨子〉は以下の通りです。

1番目は、沖縄返還の国際法上の意味。特に、サン・フランシスコ平和条約第3条について。

2番目に、沖縄返還の政治的合意。1969年「佐藤・ニクソン共同声明」(特に第8項)について。

3番目に、沖縄返還協定の概要。協定本体及び関連文書について。

4番目に、沖縄返還協定促成に関する交渉又は国会で大きな問題になった諸点。

 ①返還される沖縄の地理的範囲

 ②在沖縄米軍施設・区域の返還・削減

 ③日本国民の対米請求権

 ④財産の移転

 ⑤対米支払32千万ドルの内訳

 ⑥復帰後の沖縄における外国人及び外国企業の取扱いにかんする問題

 ⑦海没地の問題処理

5番目として柳井大使は、最後に感想として、「69年の11月に政治的な返還合意ができて、それからすぐ協定の交渉をやって、この協定を実施するための国内法改正も関係各省でみんな自分の法律を精査して、たしか全部で500本ぐらい法律改正をしたと思います。

ということで沖縄返還を実現したわけですが、とにかく1969年の11月の政治的な合意から1972年の沖縄返還まで、交渉でいえば、1971年の6月までの間によくぞまとまったものだと思います。その間、核抜きに関するいろいろな密使が行ったり来たりというようなこともございまして、この辺は渡邉先生からコメントいただけるのではないかと思います。」と、交渉を振り返り、述懐されています。

 

 

◆渡邉昭夫東京大学名誉教授から、柳井大使の報告に対するコメント

続いて、討論者の渡邉名誉教授から、柳井大使の報告に対して、1.核抜き本土並みの沖縄返還、2.「密約」の有無と評価―核の再持ち込み、3.野党の 沖縄協定反対論=佐藤内閣打倒論についてのコメントがあり、特に、核抜き本土並みの沖縄返還、施政権返還について両者の間で議論がなされました。

柳井大使は、若泉敬氏の役割に関して次のような発言をされ、議論を締めくくりました。

私の考えだけ述べさせていただくとすれば、こういう難しい交渉があるときは、先生はトリックとおっしゃいましたけど、裏わざがあっても、それはいいんじゃないかと思うんですね。若泉さんたちがやったことも、要するに「核抜き返還」というものを確実に実現するために、同じ目的のためにやったわけですから、それはそれでよかったのではないかと思っています。

ただ、どれだけ裏の交渉が役に立ったのかどうか、邪魔にはならなかったと思いますよ。だからどれだけ役に立ったかというのはよくわかりません。一つ言えることは、いろいろ問題はございました。先ほどもいくつか言及しましたけれども、問題があった交渉ですが、しかし全体としては大成功だった交渉なのですね。交渉が成功すると、実はおれもやったんだと、たくさん出てくるのですよ。失敗すると、みんな逃げちゃう。あれはおれは関係ないと言うんですよ。だからいいんじゃないですか、こういうことはあってもと思っています。若泉さん、もし自殺されたとすれば、それは非常に残念なことだと思います。」

柳井俊二 氏       渡邉昭夫 氏


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