第2回「猪木正道記念・安全保障研究会」の報告(続き)

投稿日時: 05/03 editor5

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II 部 安全保障研究会

II 部安全保障研究会では、報告者に柳井俊二元外務事務次官、コメンテーターに渡邉昭夫東大名誉教授、司会者に秋山昌廣元防衛事務次官をお迎えして、冷戦終結後の怒濤のごとき環境変化の中で、外務省、防衛省、そして学界において実際に我が国の外交・安全保障をリードされた3方による「安保法制の制定過程と課題 ―  現場からの報告その2」を実施いたしました。

 

1.柳井俊二大使の報告

柳井大使は、 現場からの報告 を四つの柱に分け、周到に纏められたレジュメに沿って、報告されました。

1)安保法制制定の背景

まず、背景の一つとして、冷戦終演後、暫くの間は世の中が安定するかに見えたが、中国の対外進出の動き、北朝鮮の核、ミサイルの開発、ロシアの軍事活動の活発化等我が国周辺の安全保障環境が大変厳しい状況になってきたことから、安全保障の法的基盤再構築の必要性があったこと。二つ目は、我が国は、憲法第 9 条の下で、個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権の行使や武力行使を伴う国連の集団安全保障への参加は認められないとの従来の政府憲法解釈で、一体日本が守れるのか、あるいは日米同盟を維持・強化することができるのかという問題意識が出てきたことである。

2)安保法制懇の設置、検討及び提言

ア. そこで安倍総理は、 2007 5 月に専門家を集め、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を立ち上げ、日本をめぐる安全保障環境の変化や憲法解釈が適切であるか否かに留意し、次の趣旨の 4 類型を問題意識として提示し、検討を指示された。

  

イ. 安保法制懇は、 2008 年に、このような事態に有効に対処し得るよう、集団的自衛権の行使と国連の集団安全保障に参加することが憲法第 9 条で認められるよう、解釈を変更すべき旨提言する報告書を作成したが、安倍総理の辞職後、この第 1 次報告書は宙に浮いたままになった。

ウ. 2013 年、安倍内閣が復帰し、同報告書が正式に提出されると共に、安保法制懇は検討を継続することになった。

エ. 2014 年に提出された第 2 次報告書は、憲法第 9 条の解釈に関する第 1 次報告書の基本認識を踏襲するとともに、政府の憲法解釈の変遷や砂川判決も検討し、更に ① 在外自国民の保護・救出等、 ② 国際治安協力、③ 武力攻撃に至らない侵害への対応、 についても適切に対応し得るよう法整備をすべき旨提言した。

オ. この第 2 次報告書を受け、安倍総理は、「限定的な集団的自衛権の行使は憲法上容認されること、必要ならば憲法解釈の変更のため内閣法制局の意見も踏まえて検討し与党協議を経て法制の基本的方向を閣議決定すること、準備ができ次第必要な法案を国会に提出すること」を含む方針が表明された。

カ. そのような閣議決定がなされ、法案が準備され、国会に提出されて、 2015 9 月に新しい一連の法律が成立した。

3)新平和安保法制の構成と主要点

ア. この新しい平和安保法制の構成は、自衛隊法、国際平和協力法等 10 本の既存法の一部改正を束ねた「平和安全法制整備法」と新規立法である「国際平和支援法」の二つの柱で構成されている。

イ. 新平和安保法制の主要点について、

(1)  一番肝になる部分は、集団的自衛権の行使を認めるかどうかという点である。政府は、「自衛権の新 3 要件」を次のように定め、自衛隊法等は、この「新 3 要件」に従って改正された。

まず第 1 要件は、我が国に対する武力攻撃が発生したこと、 又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。

2 要件は、これを排除し、 我が国の存立を全うし、国民を守る ために他に適当な手段がないこと。 下線は、旧 3 要件との違いを示す。)

3 要件は、「必要最小限の実力行使にとどまるべきこと」。

(2)  2 次報告書で取り上げた在外邦人等の保護措置については、安保法制懇としては、テロ攻撃を受けた場合等の在外邦人の保護・救出のため一定要件の下で、自衛隊による武器使用の可能性を含めた法制の整備を提言。これを受けて、自衛隊法に「在外邦人等の保護措置」に関する規定が新設され、一定の要件と手続の下で、自衛隊が武器使用も含めて保護措置がとれるようになった。

(3)  国際平和協力法の改正については、細かい改正がいろいろあるが、新平和安全法制においては、「 PKO 参加 5 原則」を維持しつつも、国連以外の枠組みによる PKO も対象とする、国際平和協力業務の追加・拡充、いわゆる「駆け付け警護」のための武器使用等の権限付与が認められるようになった。

(4)  国際平和支援法は、新規に立法されたもの。これは従来、「湾岸戦争」のとき、国際平和協力法というものの、結局廃案になった。その後の「 9 11 テロ」及び「 2003 年のイラク核疑惑」の際には、このような事態が発生してから多国籍軍への後方支援のための立法措置を講じていたが、この新規立法により、予め基本的な条件を定める一般法を制定した。このため、今後は迅速に対応できるようになった。

4)新平和安保法制の評価と課題

ア.評価について

評価すべき点としては、ロシア、中国という核軍事大国を隣国として持ち、中国の軍拡、尖閣領海侵入、海洋への軍事進出、ロシアによる北方領土支配強化や軍事活動再活発化、北朝鮮の核・ミサイル開発推進等に晒されているこのような厳しい安全保障環境の中で、安全保障の総合的な法的基盤が整備されて、我が国の防衛力と日米同盟の強化が図られたことの意義は大きく、時宜にかなったことと考える。

具体的には、① 限定的とはいえ、集団的自衛権の行使が認められたこと、② 在外邦人等の保護措置が拡充されたこと、国際平和協力法( PKO 法)において「駆け付け警護」等のための武器使用権限が認められたこと、新規立法たる「国際平和支援法」が制定され、国際の平和と安全に対する重大な脅威が発生したときに迅速・適切に対処するための法制が整ったこと等は、重要な進展と言える。

イ.今後の課題として

他方、次のような課題も残っていると考えられる。第 1 に、憲法第 9 条 の解釈における集団的自衛権の位置づけの不明確さ、第 2 に、限定的な集団的自衛権行使の要件があまりにも複雑であり、ミサイル攻撃のように分秒を争う事態に対処できるかの不安があること、第 3 に、 PKO における武器使用権限が「駆け付け警護」等の場合に拡充されたとはいえ、妨害排除のための武器使用がなお認められておらず、国連の基準に未だ合致していないこと等である。

従って、平和安保法制の整備は、これが終わりではなく、我が国として残された問題に引き続き取り組んで行く必要がある、と報告を結ばれました。

 

 

 



2.渡邉昭夫氏のコメントと質問

    柳井懇談会」と「樋口懇談会」の比較から

柳井大使の(現場からの)報告に対して渡邉昭夫コメンテーターは、「私は外務省や防衛省に所属したことのない学界の人物ですので、政策決定過程論でいえばアウトサイダーの立場です」と予め断ったうえで、 2015 年の「柳井懇談会(Y)」と 1994 年の「樋口懇談会」(当時青山学院大学教授)の委員として参加した経験をもとに、両懇談会を9項目に分けた比較メモを用意して、それぞれコメントを加えました。


ア.時代: 樋口懇談会は 1994 年。柳井懇談会は、第 1 次安倍内閣から第 2 次安倍内閣まで少し時間があって、第 1 次報告書( 2008 年)、第 2 報告書( 2014 年)の関係がよく分からなかったが、今日の柳井大使のお話で、懇談会も第 1 次と第 2 次があったということが分かった。

イ.政治的背景: 樋口懇談会は、「ミニ政権交代期」と言われたこともあり、不安定な時期であったが、柳井懇談会の方は、第 1 次安部内閣から第 2 次安倍内閣までの若干の変化があったが、自民党政権として安定であったこと。

ウ.世界情勢: 簡単に言えば樋口懇談会は冷戦後。柳井懇談会の方は、冷戦後のまたもう一つ後の「9.11」後。

エ.諮問の内容: 樋口懇談会は、当時「平和の配当」論というのがあって、実に漠然として何を諮問されたのかさっぱり分からない状態で出発したが、結局は「日米安保の再定義」ということに落ち着いた。一方、柳井懇談会の方は明確であり、「 4 類型」の事態に対して憲法との関係はどうするのか、あるいは法律との関係はどうするのかということについて極めて具体的な諮問があったことが大きな違いであった。

オ.懇談会のメンバー: 懇談会のメンバーは誰がどうやって決めたかについて知らないが、樋口懇談会は猪口邦子(上智大学教授)と私で、学界からは 2 人であって、あとは「有識者」と。柳井懇談会の方は、専門家と書いてあるのですが、文章によるとこちらも「有識者」となっており、国際関係などの 8 名の学者と専門家が多くいることに違いがあること。

カ. PKO 樋口懇談会では、 PKO をどうするかという議論の中で、 PKF (国連平和維持軍)の本体業務参加への凍結解除、すなわち PKF 解除論」 があった。それを村山総理に言ったら、「君たち知っているとおり、僕はこの間まで、社会党の委員長をやっていたのだ。なんとかこれは勘弁してくれ」というので、 PKF 解除論」を削って、 PKF (凍結)の解除の方向で議論して下さいというふうに、一歩も二歩も後退して書いた。当時はそういう段階であった。

ところが、柳井懇談会の方は、憲法第 9 条をどうするのかということを非常に意識していた。樋口懇談会のときは、意識的に憲法問題を議論しないということで、憲法をいじらない範囲でどういう議論ができるかというということになった。そこも非常に大きく違うところだと思っています。この辺は、私の受け取り方が間違っていれば、後で性格に直していただきたい。

キ.報告書の執筆者: 私が一番関心のあるのは、報告書を誰が書いたのかということです。

樋口懇談会は一応私が素案を書いて、他の委員の先生方からいろいろ注文がついて、それを取り入れ修正し、委員全体で書いたということになっています。柳井懇談会の報告書は誰が書いたのですか。座長がお一人で書いたのかどうでしょうか。それとも事務局が書いたのでしょうか。可能でしたら、後でご返答いただきたい。

ク.政策への影響: 樋口懇談会のときは、現実の政策にどのような影響を受けたかについては、司会者の秋山昌廣さんが良くご存知だと思いますが、一応形のうえではいわゆる橋本・クリントン日米安保共同宣言となり、要するに「日米同盟の再定義」につながった。

柳井懇談会の方は、簡単に言えば安保法制ですが、「国際平和支援法」その他の新しい法律が整備された。内閣の諮問が具体的であったことから、政策に明確な影響を与えたことが見られる。

ケ.世論の反応: 樋口懇談会のときの世論の反応はあったものの、「ばらばら」と書いたように賛成か反対かよく分からず、大した反応はなかったように思う。ところが、柳井懇談会の反応はどうかというと、国会あたりで「安保法制反対」と言って、ワアワアとやっていた人もいたようであります。

以上が両懇談会の比較であります。この中でおもしろいと思ったのは、柳井懇談会の第 1 次報告書で、「国連を中心と国際社会全体との協力をしていく努力が求められている」と書いていますが、これは樋口懇談会でも全く同じことを言っています。

しかし、本日の柳井大使の報告を聞いて改めて驚いたことは、内閣法制局は「集団安全保障」という概念が全くないということです。この問題についての法制局とのやり取りは、柳井懇談会の時ほどではないにしても、樋口懇談会のときにもありました。

それと中国問題。冷戦終結後の安全保障環境の変化というのが柳井懇談会のときの情勢認識ですね。樋口懇談会では将来の問題としてあるかもしれないが、今は中国の脅威という問題は意識の表面にはなかった。柳井懇談会では、第 1 次であろうと第 2 次であろうと中国問題というのが大きな議論となっている。これが大きな差であるように感じます。

そこで柳井報告の最後の残された課題は、要するに憲法問題もさることながら、武力行使なのですね。国連の集団安全保障に参加するときも、いつ、いかなる理由があっても武力行使はいけない、といったことを内閣法制局なり何なりが持ったりすると、これは大変なことだといつも気になっています。このことについてもう一度お聞きしたいというのが、私の雑駁なコメントです。

 

3.渡邉名誉教授のコメントに対する柳井大使の答え

柳井大使は、渡邉コメンテーターによる 9 項目の比較表について、「いずれも非常におもしろい点だと思います」と述べ、それぞれについて次のように答えています。

① 時代は、確かに私どもの場合は、冷戦後です。 ③ の世界情勢と関係するのですが、確かに 9.11 事件後ということもありましたし、また、中国が目前の現実の問題になった。それから北朝鮮も現実の問題となっているというところは非常に時代背景として違うところだと思います。

② 政治的背景、これもおっしゃるとおりで、第 2 次安倍政権は安定政権だったと思います。

④ 諮問の内容は、まさしく非常に具体的名内容だったので、ある意味やりやすかったと思います。

⑤ 懇談会のメンバーは、私を入れて 13 人です。 8 名の学者と元統合幕僚会議議崎長(西元徹也氏)、私どものような元官僚、佐藤謙さんのような元防衛事務次官、岡 崎 (久彦)さん、そういう人も入っています。その構成は確かに違いしました。

⑥ 樋口懇談会の場合、 PKF は駄目ですという話しは、今、初めて伺ったのですが、これも時代背景が変わって、少なくとも憲法第 9 条の解釈を論ずることがタブーではなくなったという時代になっていたと思います。

⑦ 第 1 次報告書は私が書きました。第 2 次報告書のときは、国際海洋法裁判所の所長をしており、ハンブルグに住んでいましたので、取り纏めを北岡伸一先生にお願いしました。

⑧ 私どもの場合は安保法制という形で非常に具体的になった。

⑨ 世論の反応というのは非常におもしろくて、第 1 次報告書のときは、福田(康夫)さんが受け取るのを嫌がったということもあって、会見は総理官邸ではなく内閣府の会見室で私が一人でやりました。その時には、内容に関して反対するような質問は一切なかった。

2 番目の報告書のときは、にぎにぎしくテレビの前でやりましたので、確かに国会周辺でワアワア言う人はいましたが、その時の記者会見でも、内容に関する反対論みたいなものはありませんでした。両懇談会の比較はものすごくおもしろいですねと、と言って結ばれました。

 

 

4.司会者秋山氏の補足発言と質疑応答

柳井大使の回答のあと、元防衛事務次官の司会者秋山氏が発言を求め、樋口、柳井の両懇談会の間に次のような 流れ があるとの見解を述べられました。

「樋口懇談会の答申を受けた防衛大綱に安保法制懇でもその流れが出ているのですね。当時、日本の安全保障の核心として、 1 番目はもちろん我が国の防衛です。2番目が武力攻撃以外の大規模災害やその他の危機に対する対処というのが出て、3番目に実は国際協調主義というのが出た。国際平和協調主義が日本の安全保障に役立つのだと。その時から日本の PKO を含めた活動が始まったという意味で、実は防衛大綱の基になった樋口懇談会というのは、流れの初めにあったということを申し上げたい。今の渡邉先生のご質問では、違いをむしろ主張されたと思うのですが、その点だけ申し上げたいと思います。」と述べられました。

そのあと参加者との質疑応答に入り、憲法第 9 条の解釈における集団的自衛権の位置づけ及び運用の問題、国連の下での武力行使を伴う集団安全保障の参加問題、さらには南シナ海における中国の埋め立てによる軍事基地建設と国連海洋法条約との関係等についても活発な討議が行われました。

最後に司会者から総括コメントを求められた渡邊名誉教授は、特にありませんと断った後で、「政策問題というのは、簡単に言えば政治判断ですね。もちろん法律というものは一つの大きな要素ですが、この機会に考えを申せば、いわゆる “ネガティブリスト” と“ポジティブリスト”という考え方があります。これをやれ、これをやれ、これをやれと書いてあって、これをやれと書いてないことはできない。いくら必要なことであってもできないというのが“ポジティブリスト”ですね。これに対して“ネガティブリスト”は、これをやってはいけない、これはやってはいけな、ほかのことは必要ならばやっていいというのが、本来の政治的なモノの考え方だと思って、私は常にそう考えているですが。これでよろしいでしょうか。」とのコメントをされました。

これを持って、非常に中味の濃い充実した第2回研究会はお開きとなりました。

  

5.懇親会

研究会のあと、場所を南校舎 3 階「萬來舎」会議室に移し、予定されていた恒例の立食式での懇親会は新型コロナウイルス感染予防のため、報告者を囲んだ少人数による 食事会 に変更し、互いに打ち解けた楽しい一時を過ごしました。

 

 

〔第2回猪木正道記念・安全保障研究会の全内容は、本年 9 月開催予定の第 3 回猪木正道記念・安保研究会の報告等と一緒に、年報『平和と防衛』第7号(令和 2 11 月発刊)に掲載いたします。乞うご期待!〕